戦国最強の知将 真田昌幸の人生とは?

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天下を取った徳川家康が最も恐れた男と言えば、真田昌幸・真田信繁(幸村)親子である。かつて三方ヶ原の戦いで徳川家康に大勝した武田信玄を信奉していた真田昌幸は、その素晴らしき知性で上田合戦で徳川勢を寄せ付けず、撃退している。

第2次上田合戦では直前に息子真田信之を徳川方の東軍、自らと信繁を西軍と分け、家の存続させた。

そして上田合戦では家康の息子である徳川秀忠と対決し、一蹴。徳川秀忠は上田合戦に苦戦し、関ヶ原に遅参している。秀忠はこの事を生涯悔いていたそうだ。

あの武田信玄が魅了された!真田昌幸の生涯を振り返る

我、六道(りくどう)を懼(おそ)れず」は戦国最強の知将、謀将と崇められた真田昌幸の兵法と人生について記された本である。真田昌幸は幼少を武田家と人質として過ごしたが、そこで武田信玄に見出され、やがて絶大なる信頼を置かれるのである。

信玄は昌幸を信頼し、昌幸も生涯信玄に忠誠を誓っていたとされている。もし武田勝頼が小山田信茂でなく、真田昌幸を頼っていたら、武田家滅亡はなかったであろう。

我、六道(りくどう)を懼(おそ)れず」では、信玄の兵法を元に戦国最強の謀将真田昌幸の人生を振り返っている。

 

記事元:GIGAMEN
参照元:我、六道(りくどう)を懼(おそ)れず

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